最近「ノスタルジー」から元気をもらっている

 

最近正直育児が大変です🥲

今が一番大変な時期なのかな~と思いつつも、そう思ったからといってツラさがなくなるわけでもなく、メンタルがジェットコースターの日々です。

そんな中で貴重な自分時間にはトライブナインだったり荒井昭二(アパシー)にハマっているわけですが、2つの共通点は私の中で『懐かしい』なのだと気付きました。

トライブナインはドット絵の見た目だけではなくテキストが全体的に「懐かしい」のです。ネタが古かったりするのもそうですが、例えばゲームの中で暗に『こういうのはヤバい仕事だぞ』って教えてくれる感じとかが子どもの頃まさに教えられる対象としてそういうことを教わりながら遊んでいた頃の気持ちに帰らせてくれるんです。

アパシーの方は元が私が小学生の頃に遊んでいた『学校であった怖い話シリーズ』で登場人物の名前や彼らが離す怖い話が昔と変わらないものもあったりしてもろに「懐かしい~~~」となれます。それまでは完全に忘れていたけれどちょっとキーワードを見たら思い出す話とか、当時は高校生のお兄さんお姉さんたちがすごい大人に見えてかっこいいなあと思っていたなとか、色々思い出してなぜだか元気になれます。

そこで懐かしいとなぜ元気になれるのか考えたんですけど、たぶん『守られていた頃に戻れたと錯覚するから』なのかなと思いました。
私の場合は毒親育ちなのでその頃に戻りたいかと言われたら完全に「NO」なのですが、それでも上記のような大人が子ども全般にと思いを込めて作ってくれたものを受け取るときは等しく『守られていた』のだと思うんです。

だから今も例え自分に向けて作られていなくても似たようなものに触れると安心できるのかなあと思ったりしました。

そしてそれはそもそも「私より年上のクリエイターさんたちがまだ現役だから」感じられることでそこにもありがたさを感じます。
例えば学校であった怖い話の飯島多紀哉さんだったら私が小学生の頃にすでにゲーム制作に参加されていたのに、私が親になった今も現役で新しいストーリーを書いてくださっているから今私がそれを読んで元気がもらえるというすごいことが起きています。
本当にありがたいことです…!

でもやっぱり私も年を取ってきたので、例えばすぎやまこういち先生だったり鳥山明先生のようなレジェンド世代の方々を天国に見送る時期に入ってきてしまいました。とても寂しいです。
若くして亡くなってしまったクリエイターの方たちもいらっしゃいますし…。

そういうことを考えると、今こうして「守られている」状態でゲームで遊べるのってあと少しの期間なのではと思います。亡くなられなくても体力的な理由などで現役を退く方たちも増えてくると思いますし。

だから今はとても「尊い」時間なのだと思います。

なので少し前までは本気で思っていた「やったことがないゲームを遊びつくす」とか、数年前まではそうだった「好きなゲームをなんとしてでも人気になるように応援したい」とかそういったギラギラ感が今消えていくのを感じています。
今は私自身の元気がないからそんな余裕がないということかもしれませんが、最近そんな自分の気持ちの変化を感じます。

もしかしたら「枯れる」ということなのかもしれないけれど、今は無理に抗わず、最後かもしれない「守られている」時間を大切にしたいと思います。